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なぜタキシードに合わせる蝶ネクタイの色は黒色なのか?

最終更新: 3月19日


出典:henrypoole.com

英国の仕立屋ヘンリー・プールのタキシード

よく知られているように、「ブラック・タイでお越しください。」という招待の言葉は、タキシードを着用して来てください、という意味のドレス・コードである。

礼装には正式なルールが付きものだ。しかし、タキシードという衣服には得体の知れない部分があり混乱することも多い。

タキシードに合わせる蝶ネクタイの色は黒が正式

タキシード着用時には黒の蝶ネクタイを結ぼう。それが正式な装いだ。

出典:bows-n-ties.com

ブラック・タイの種類

以下にタキシードと蝶ネクタイの関係性について歴史的な部分を含めて長々と講釈する。興味がない方は読まなくても全く問題ない。

しかし、タキシードと蝶ネクタイの歴史をたどると次のような疑問に対して納得できる答えが見つかるだろう。

◆なぜタキシードを着る時のネクタイの色は黒なのか?

◆なぜタキシードを着る時は蝶ネクタイを結ぶのか?

◆白やほかの色のタキシードは正式ではないのか?

◆黒以外の色の蝶ネクタイを結んではいけないのか?

タキシード? ディナー・ジャケット? スモーキング?

タキシード【tuxedo】はアメリカ英語。

英国ではディナー・ジャケット【dinner jacket】

ヨーロッパの他の国々ではスモーキング【smoking】と呼ばれる。

呼び名は異なるが、すべて夜間の礼服のことであり燕尾服よりも略式とされる。

タキシードの各国での名称の違いそのものが、タキシードの歴史的な起源の違いを示している。

また、とある高級ブランドが、どの国の どの時代の影響を受けて成り立っているかをもタキシードのデザインの違いによって読み取れる。

タキシード誕生のいきさつ

タキシード発祥の源流は1800年代英国の皇太子(後のジョージ4世)の摂政政治時代にさかのぼる。

それよりも昔、フランス革命以前の上流貴族たちの身なりはフリフリのフリル付で金の刺繍をあしらったきらびやかなものである。

出典:ekduncan.com

1770年代のフランスの貴族の身なり

宮廷服からシンプルな服装へ

1800年代にダンディズムの元祖ボー・ブランメルが登場する。

ブランメルは華美な衣装を嫌い、特に夕方以降は白と黒を基調とした装いを好んだ。

そして、ブランメルの服装は当時の典型的な男性のファッションとして広まっていった。

出典: wemakehistory.com

1811年当時の英国の一般的なイブニングドレス、燕尾服

フランス革命以前の服装と比べると、燕尾服とタキシードに似てなくもないだろう。注目すべきは燕尾服の色が黒ではなく濃紺であるという点だ。

ブランメルは黒の燕尾服と白のベストを好んだが、他の色の燕尾服を着る男性も当然のことながら存在した。

燕尾服からタキシードが派生したと考えられているので、どちらの衣服も色が黒でなければならない理由はないし、濃紺も素敵なのだが正式な場では黒が無難だろう。

燕尾服に合わせる蝶ネクタイの色は?

タキシードの先祖的な存在である燕尾服に合わせる蝶ネクタイの色は白だ。

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燕尾服の着用ルールの一例

1800年代のネクタイはクラバットと呼ばれる布地を首に巻くものだったが、一般に色は白と決まっていた。上流階級の紳士たち全員が白のクラバットを巻いていた。

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Portrait of Pierre Seriziat(1795年)

白いシャツと白いベスト、白いモスリン地のクラバットは富の豊かさを示すアイテムだった。馬車が行き交い、土ぼこりが舞う街の中で非の打ちどころのない白さを維持するためには何着もの着替えが必要であり、白さを保てるということは尋常ならざる財産ともてあますほどの時間をもっている証拠なのだ。

しかし、例外的に黒のクラバットを結ぶ者もいた。例えば、英国皇太子、後の国王ジョージ4世である。もちろん金持ちだ。

出典:racollection.org.uk

黒いクラバットを結んでいるジョージ4世

なぜ燕尾服もタキシードも蝶ネクタイを合わせるのか?

燕尾服のドレスコードは「ホワイト・タイ」、タキシードのドレスコードは「ブラック・タイ」と色で指定されているが、どちらも蝶ネクタイであることにお気づきであろうか?

なぜタキシードには結び下げのネクタイではなく、蝶ネクタイを結ぶのか?

理由は単純、現在のフォーマルウェアの規準を形作ったこの時代に結び下げのネクタイが存在しなかったからだ。

タキシード着用時には胸にプリーツがついたシャツを着るので、邪魔にならないように蝶ネクタイを結ぶ、という説明をする人もいるが、正しくない。ならばプリーツなしのシャツを着る燕尾服でも蝶ネクタイを結ぶ理由の説明がつかない。

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タキシード着用時のルールの一例

ネクタイの前身、クラバットの結び方と蝶ネクタイの関係とは?

この時代に蝶ネクタイが存在したわけでもない。

しかし、次に紹介する1800年代のクラバットの結び方を見れば、なぜタキシードに蝶ネクタイを結ぶのかが分かるだろう

当時のネックウェアであるクラバットの結び方を簡単に紹介しておく。ネクタイの結び方には名前がついている。

なぜタキシードに蝶ネクタイを結ぶのか、結んだ様子からその理由がお分かりになるだろう。

①ロイヤル・ジョージ

出典:historyandotherthoughts.blogspot.jp

または「フルドレス」と呼ばれるもっとも格式高いネクタイの結び方である。素材は高級なジェノア・ベルベットやシルク・サテンで作られていた。

②プレーン・ボウ

出典:historyandotherthoughts.blogspot.jp

やや細身のネクタイをシンプルな蝶結びで結んでいる。素材は黒のシルク。

③ボール・ルーム

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もっとも一般的でありながら、もっとも難しいネクタイの結び方。布地を顎のすぐ下まで柔らかくふんわりと維持しなければならないのだが、両端を結んでいないので形が崩れやすい。交差した部分はピンで固定させている。

④ハンティング

出典:historyandotherthoughts.blogspot.jp

その名の通り、狩猟を行なうときの結び方である。交差部分はキツネをあしらったブローチなどで固定した。布の両端をひらひらさせてはいけない。現在、この結び方は乗馬用のネクタイ(ストック・タイ)に名残が残っている。

このように、燕尾服やタキシードの起源となっている時代のネックウェアはクラバットであった。燕尾服にもタキシードにも蝶ネクタイを結ぶのは、蝶ネクタイがクラバットの歴史を汲んでいるからである。

ネクタイの歴史については「知らないと恥ずかしい ネクタイの起源と歴史」をご覧ください。

なぜタキシードの着こなしは黒と白で成り立っているのか?

タキシードの歴史は礼装の歴史である。

広く知られているように、礼装は黒と白で構成されている。

この「礼装は黒と白」という色のルールを作ったのは英国の作家エドワード・ブルワー=リットン卿である。小説『ポンペイ最後の日』が代表作で、戯曲『リシュリュー』に登場する宰相リシュリユーのセリフ「ペンは剣よりも強し」で有名な作家だ。

リットン卿は1828年出版の「Pelham」という小説のなかで、「メンズのフォーマルドレスは白い蝶ネクタイと黒い燕尾服、固く糊付けされた白いシャツ」として、礼装の色合いを定義したのだ。

小説「ペルハム」は上流階級の人々の間で人気を博し、以来、男性の夜会服の色は黒と白で構成されるようになった。

出典:freemasonry.bcy.ca

エドワード・ブルワー=リットン卿

タキシードの着こなしのキーワードは?

タキシードを着るときに大切なキーワードは「リラックス感」だ。

タキシード着用時のリラックス感を演出した最初の紳士はアルフレッド・ドルセー伯爵であろう。

ドルセー伯爵は華美な装いよりもシンプルな装いによって上流階級の紳士淑女を魅了した社交界のファッション・リーダーである。

ドルセー伯爵は黒のサテン地のクラバットで胸元を優雅に飾った。

ドルセーロールのシルクハット、ドルセーパンプス、ボタンをルーズに止めるジャケットと反り返ったラペルなどは、見る者に優雅でリラックスした印象をもたせた。

アルフレッド・ドルセー伯爵が世間にもたらした、礼装における「リラックス感」が後にタキシード誕生のキーワードとなる。

出典:wikipedia.org

アルフレッド・ドルセー伯爵のイラスト(1830年)

この時代、燕尾服のラペルは現在のようにシルクで覆われておらず、ベルベットで覆われていた。ラペルの形状はピークド・ラペルだけでなく、ショール・カラーもあればノッチド・ラペルもあった。

蝶ネクタイの形は、先が尖っていて、剣幅は一般的に狭かった。

それはクラバットが一枚の布を巻きつけていたことによる名残だ。

クラバットは一枚の布の端と端を結ぶ。

だから先端は布の角となって、結び目の端には布の角がくる。

最も伝統的な蝶ネクタイは一枚布を折り合わせて作られたものであり、粋な男性はそれをさりげなく、あくまでも自然にリラックスして結ぶ。

伝統的なハンドメイド製法による蝶ネクタイが絶滅寸前であるのはほんとうに残念なことである。

あらかじめ不自然に作られた結び目はリラックス感を損なう。

出典:digitalcollections.nypl.org

1834年フランスの燕尾服と白い蝶ネクタイ

英国では、タキシードはあくまでも燕尾服の略式という認識であるからショール・カラーではなくピークド・ラペルであるとの説明をよく目にする。

どこのだれが言い始めたのか知らないが、どこへ行っても同じ説明のコピー&ペーストである。実際は英国人もショール・カラーのタキシードを着用している。

ヴィクトリア朝の潔癖スタイル?

礼装の色は黒と白が良い、というリットン卿の言葉がいっときの流行に収まらなかったのは、ヴィクトリア朝時代という社会性が関係している。

ヴィクトリア朝時代(1837-1901年)は英国の黄金期であった。

数々の芸術家が生まれ、ときに感傷的で、過度の上品さが重んじられた。

いっぽうで、産業革命の大きなうねりの時代でもあり、節制と欲望の二律背反がみられた。

プロテスタント派教会の発展も紳士服に影響している。

プロテスタントは非常にきびしい基準をつくり、黒と白のモノトーンを着ることで潔癖さを誇示したのだ。

こうした時代背景ゆえに、燕尾服やタキシードの黒と白の組み合わせは、リットン卿が提唱した後も引きつづき紳士たちに受け入れられた。

出典:wikipedia.org

1870年代のヴィクトリアン・ファッション

ヴィクトリア女王の夫 プリンス・アルバート公の死

さて、喪に服すことは英国の紳士淑女にとって非常に重要なしきたりであった。

英国では厳格に喪に服す期間がさだめられており、喪服と半喪服までが存在した。

英国では、伝統的に喪に服するときは黒い服を着る。

1861年12月14日、ヴィクトリア女王の夫、アルバート公が腸チフスで亡くなったことも燕尾服/タキシードの黒白スタイルに影響を与えている。

全国民に喪に服すことが命じられたが、その期間は非常に長いものだった。ヴィクトリア女王とアルバート公の仲睦まじさは英国の平和を象徴するものだったからだ。

アルバート公は紳士服の歴史上にたびたび登場する洒落者でもあるが、それはまた別の話である。

出典:wikipedia.org

アルバート公とヴィクトリア女王(1854年)

タキシードが喪服として誕生するわけではないのだが、ヴィクトリア朝時代の宗教的また文化的な背景が黒と白で構成される服装を定着させた、とも考えることができるだろう。

正式な場で着用するタキシードそのものの色は黒か暗色の青が望ましい。

タキシードにはもともと白の蝶ネクタイを結んでいた?

最初期のタキシード着用時の蝶ネクタイの色は白だった。

というのも、燕尾服には白い蝶ネクタイを着ていたからだ。

あとで改めて述べるが、服装のルールは時代によって変わる。

1800年代後期には、あらかじめ結び目を作っておく蝶ネクタイ(プレ・タイ)も発明されたが、まっとうな紳士であればプレ・タイを結ぶことはない、というのが上流階級の共通認識である。

興味深いことに、黒の蝶ネクタイを結ぶことも、正装として燕尾服を着る場合には認められていなかったのである。

時代と共に蝶ネクタイの色は、燕尾服は白、タキシード黎明期には白もしくは黒とされる。やがて、燕尾服には白、タキシードには黒と規定されるようになった。

1883年発行の英国のボール・ルーム(舞踏会)ガイドブックには「黒のドレスコート、黒のトラウザーと黒のウエストコート、黒か白のネクタイ、山羊革の手袋、パテントレザーのパンプス」の着用が勧められている。

蝶ネクタイの素材に関して言えば、最も伝統的なものは綿か麻である。これはクラバットを結んでいた時代から続く伝統的な素材である。

1800年代後期まで、燕尾服を着用する時の蝶ネクタイは平織の麻か綿素材で白色が正式とされていた。

現代において正統とされている蝶ネクタイの素材は絹だ。見栄えがよいからにほかならない。

シルク生地に畝が入っているグログランの蝶ネクタイが良いとされ、次いでサテン地がタキシードに合わせて結ばれる。

ただし、コットンやリネン素材の蝶ネクタイも伝統に裏打ちされた正統なものだ。

初期の蝶ネクタイ(ヴィクトリア朝時代)は【folds tie】、つまり生地を2つから4つ折りにして作られた。見た目は小さな結び下げネクタイそのものである。このタイプがもっともクラシック(伝統的で最上級)な蝶ネクタイだ。

蝶ネクタイ専門店の「DIAMOND HAKE」でのみ取り扱っている。

出典:metmuseum.org

1880年代のフォーマル用の蝶ネクタイ(素材はコットン)

出典:metmuseum.org

1900年頃のフォーマル用の蝶ネクタイ(素材はシルク)

出典:metmuseum.org

1900年頃の蝶ネクタイ(素材はシルク)

いま入手できる伝統的な蝶ネクタイは2枚の布を縫い合わせた手結び式で、【single-piece self-tie bow tie】と呼ばれ、古くからある仕立屋でならオーダーできるだろう。自分のネックサイズに合わせた1サイズのみのオーダー蝶ネクタイである。

一般市場に出ている蝶ネクタイはアジャスター付でサイズ調整ができるタイプが多い。このような蝶ネクタイを英国では【Blade】と呼んで区別する場合もある。

あらかじめシェイプがある蝶ネクタイを特に【Butterfly bow tie】と呼ぶこともある。形状としてのバタフライと混同しないように。

クリップ式の簡易蝶ネクタイは【clip on bow tie】。もともとレストランのウェイター用なので、このマニアックなブログの読者は着用したいと思わないだろう。

ラウンジ・スーツの登場

タキシードの歴史に話を戻そう。

1850年代に堅苦しくない服装として、ラウンジ・スーツが登場した。ラウンジ・スーツの登場がタキシードの誕生をさらに促すこととなる。

ラウンジ・スーツは現代のスーツの形とほとんど変わらない。

上着の丈が短くて、上下揃いの布地で作られた。その名の通りラウンジでくつろぐための服として考案された衣服である。

モーニング・コートや燕尾服の上着の長い裾は椅子に座る時にはたいそう邪魔であったので、英国のテーラーが裾を短く切り落としたのだ。

紳士たちは夕食後に女性たちを退席させて、葉巻を吸いながら政治・経済・相続問題などを話し合った。

ラウンジ・スーツはインフォーマルな服であったので、ツィードなどの素材で作られることも多かった。屋内でリラックスするために作られたラウンジ・スーツが、やがてタキシード誕生の布石となっている。

タキシードの起源はおもに3つ

タキシードの直接の起源は1860~1880年代にある。

タキシードの起源のひとつは、ヨーロッパで流行した喫煙用のスモーキング・ジャケット。

タキシードの起源の2つ目は、エドワード7世がヘンリー・プールで仕立てたディナー用ジャケット。

起源の3つ目は、アメリカ、ニューヨーク州のタキシード・パークでロリラード氏が着用したカウズ・コート。このアメリカでの出来事は「タキシード」という呼び名の起源であって、衣服そのものの起源とは切り離して考えた方が良いだろう。

特定のファッションの起源というものは一本道ではないことが多い。

タキシードも例外ではない。世界中で同時発生的に誕生することがあるのだ。

スモーキング・ジャケット誕生!

1860年代、ヨーロッパで葉巻が大流行した結果、スモーキング・ジャケットが生み出された。

出典:victoriana.com

スモーキング・ジャケットを着てパイプをくゆらせる男性

思い出してほしい。

フランスをはじめ、ヨーロッパではタキシードを「スモーキング」と呼ぶ。

いわば、スモーキング・ジャケットはタキシードの直系の先祖だ。

ナポレオンがスペインからフランスに持ち帰ったタバコだが、紙巻きタバコに適した紙の大量生産をきっかけに1800年代後半からヨーロッパじゅうで流行するようになる。

葉巻を吸うときには燕尾服もラウンジ・スーツも勝手が悪いことに紳士たちはすぐに気が付いた。葉巻の灰が落ちると高価な服に穴が開くし、葉巻の煙の臭いがうつると奥方に怒られるのだ。

そこで、葉巻を吸うときには別の上着が必要だ、と紳士たちは考えた。

煙を良く吸ってくれて汚れも目立たない真っ黒のベルベットで上着を作れば、奥方にも嫌味を言われないしエレガントな雰囲気で最高、というわけでスモーキング・ジャケット誕生である。

出典:wikipedia.org

スモーキング・ジャケットを着たフィッツジェラルド(1868年)

エドワード7世の考案したディナー・ジャケット

「1876年、ヨーロッパで流行していたスモーキング・ジャケットをエドワード7世が英国に持ち帰り…」という日本語サイトの説明が多いが、それは間違いであるとはっきり述べておく。

どうせ日本語版ウィキペディアの説明を確かめもせずにコピー&ペーストしたのであろう。

出典:newsfeed.time.com

英国王エドワード7世の写真(1870年)

エドワード7世とタキシードのエピソードは次のとおり。

ヴィクトリア女王の息子であるエドワード7世は、両親への反発ゆえになのか、放蕩家として若い日々を過ごしていた。

そしてエドワード7世は両親が嫌うタバコが大好きであった。戴冠式後の晩さん会で「諸君、吸おうではないか!」と葉巻をくゆらせたほどだ。

そんな葉巻大好きエドワード7世が仕立屋で注文服をあつらえるのだが、英国サヴィル・ロウの伝説の仕立屋ヘンリー・プールには驚くべきことに1846年以来の注文元帳が保存してある。

元帳によれば、当時の皇太子(エドワード7世)は1865年に「襟と袖をシルクで覆った、色はブルー地のスモーキング・ジャケット」を注文したらしい。

出典:blacktieguide.com

現存しているプリンス・オブ・ウェールズの注文元帳

ラウンジ・スーツよりも正式な服で、なおかつ燕尾服よりも過ごしやすい服、というのが皇太子のリクエストであった。サンドリンガム・ハウスでの非公式のディナーで着用するためだ。

サンドリンガム・ハウスは1862年に皇太子のために購入された英国王室の私的な別邸である。

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現在のサンドリンガム・ハウス

エドワード7世は、「サンドリンガムという別荘地での夕食なのだから、堅苦しい燕尾服はやめてスモーキング・ジャケットを着ようではないか」と提案した。

この提案は、「上流階級内での非公式な食事会という場でのみ」という条件付きで貴族たちの承認を得た。

さらに、エドワード7世は1885年の夏にワイト島カウズでのヨットリゾートにもこの裾を短く切った燕尾服のようなスモーキング・ジャケットを持ち込んだ。

夏の暑い中でも快適であったこのジャケットは、その地名にちなんでカウズ・コートとも呼ばれるようになる。

出典:cowes.co.uk

英国のワイト島北側の街カウズ

英国でタキシードのことを「ディナー・ジャケット」と呼ぶのは、夕食時にリラックスして過ごすための衣服だからだ。

「タキシード」の由来、タキシード・クラブ

タキシードという名前の由来は、アメリカ・ニューヨーク州のタキシード・パークである。これは間違いない。

出典:mytuxedocatalog.com

毎年秋に舞踏会が開催されるタキシード・パークのタキシード・クラブ

タキシードという名前が付けられたいきさつについては少なくとも2つの説がある。

1つは1886年夏にジェームス・ブラウン・ポッター氏がサンドリンガムでの夕食会に招待され、仕立屋ヘンリー・プールで皇太子と同じカウズ・コートを注文。ポッター氏はタキシード・パークの住人であったので、帰国後のパーティーでカウズ・コート(タキシード)を披露したという話。

もう1つは1886年秋にグリスワルド・ロリラード氏がテールレス・コート(タキシード)と真紅のベストを着て、タキシード・パークで開かれた舞踏会に出席し流行したという話。

ロリラード氏のエピソードの方が信憑性は高い。しかし、ポッター氏の方が出来事の時系列は早いのだ。真相はわからない。

1886年~1900年頃の新聞には「カウズ・コート」「テールレス・コート」「シェル・ジャケット」「タキシード」という服装の記事が頻繁に登場しているので、ロリラード氏とポッター氏の両人がタキシードを考案したというわけではない。

出典:.blacktieguide.com

雑誌「洋服店や家具商店」1888年10月号

出典:blacktieguide.com

1888年12月のサクラメント・デイリー・ユニオン誌の記事

「タキシード・パーク」は「タキシード」という名称のきっかけにすぎないのだが、アメリカ人は自分たちがタキシードを作ったと思っている節がある。

英国紳士が「タキシード」とは言わず、「ディナー・ジャケット」と呼ぶのは、英国こそが“ディナー・ジャケット”の発祥地であるとの自負のためだ。

エドワーディアン・スタイルのタキシード

ヴィクトリア女王の死後、エドワード7世が即位した。この時代を「エドワーディアン」と呼ぶ。

エドワーディアンの特徴は自由と解放であろう。まるで厳格な母からの自由を求めていた息子の精神そのもののようだ。

最も人気があったタキシードはピークド・ラペルかショール・カラーのシングル・ブレストで、トラウザーの色は上着とマッチしていれば何でも良かった。

ウエスト・コートの色は白であるべき、と服装指南書は主張していたが、蝶ネクタイの色の選択は白でも黒でも任意であった。

出典:blacktieguide.com

エドワード朝時代のディナー・ジャケットと白のウエストコート

ジャズ・エイジの到来

1920年代は「狂騒の20年代」また「ジャズ・エイジ」と呼ばれている。

第一次世界大戦終結後、世の中はジャズが流行し、色々な娯楽産業と大量消費とマスメディアの時代となった。

タキシードも時代のあおりを受けて、色々と変種が生み出された。

ダブル・ブレストのタキシードや白いタキシードが考え出されたのもこの時代だ。若者たちはプリーツ付のシャツをタキシードの下に着たし、暑いからと言う理由でウエストコートの代わりにカマーバンドを着用した。

多種多様なタキシード・スタイルが生まれた結果、正式なスタイルを定義する必要が生じた。若者たちの暴走を止めるために。

それで、1920年代~1930年代はタキシードの混乱時代であったが、同時に正式なルールが作られた時代でもあった。

フラップポケットが排除されるなど、細かなディテールが確立するのは1930年代であろう。

現在のタキシード着用時のルールは1920-1930年代に作られたものだ。

タキシードのドレスコードが「ブラック・タイ」、燕尾服のドレスコードが「ホワイト・タイ」と表記されるようになったのもこの頃のことである。

燕尾服はもっとも格式高い衣服であり、タキシードはリラックス時の衣服。両者の違いを明確に分ける方法として、蝶ネクタイの色が白と黒に分けられた。

ミッドナイト・ブルーのタキシードも人気を博した。

摂生時代を思い出させる濃紺のタキシードは英国貴族の間で人気となり、やがて一般にも受け入れられるようになった。

人工照明の下では黒色のタキシードよりも濃紺のタキシードの方がより黒っぽく見えるのでエレガントな雰囲気となる、という理由だ。

出典:mytuxedocatalog.com

1920年代の燕尾服とタキシード

1930年代以降のタキシードの流行の変化についてはまたいつか記事にしようと思っている。

ルールは時代の変化に合わせて変わってゆく

服装のルールは変わるものだ。

インフォーマルとされていたアイテムがフォーマルに格上げされたり、眉をひそめられていた服装が正統とされるようになったりする。

出典:blacktieguide.com

6代目ジェームズ・ボンドのダニエル・クレイグ

わたしたち日本人がルールにこだわるのは良いことだ。

自分がルールを知らないことを知っているから、知りたいのだ。

知識として身に付けないと間違えてしまうから。

欧米人はルールを “知っている” というよりも、むしろ “身について” いるのだと思う。幼いころからネクタイを締めて教会に行っているからだ。

細かなルールの知識は日本人のほうが詳しかったりする。

でも、わたしたちは “身について” いないので服装の違和感に気付けない場合が多い。タキシード着用時のちょっとした違和感に気付けるかどうかは、ルールを “知っている” だけでは不十分なのだ。

この気づきの差を埋めるのが起源と歴史の知識だろう。

このブログを最後まで読んでくださったあなたは、すでに違和感に気付ける人になっている。

相当にマニアックな内容であったと思う。長いし。

いったい誰得なのだろう?

でも、仕立屋なら知っていて当たり前のレベルだ。

100年前の伝統を当たり前のように知っていて、あたりまえに作る。

そこに価値があると思っている。

仕立屋が作る本格ボウタイ扱っています。

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