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なぜタキシードに合わせる蝶ネクタイの色は黒色なのか?

最終更新: 2020年3月19日


英国の伝統的タキシードと蝶ネクタイ

出典:henrypoole.com

英国の仕立屋ヘンリー・プールのタキシード

よく知られているように、「ブラック・タイでお越しください。」という招待の言葉は、タキシードを着用して来てください、という意味のドレス・コードである。

礼装には正式なルールが付きものだ。しかし、タキシードという衣服には得体の知れない部分があり混乱することも多い。

タキシードに合わせる蝶ネクタイの色は黒が正式

タキシード着用時には黒の蝶ネクタイを結ぼう。それが正式な装いだ。

蝶ネクタイの種類と形のイラスト

出典:bows-n-ties.com

ブラック・タイの種類

以下にタキシードと蝶ネクタイの関係性について歴史的な部分を含めて長々と講釈する。興味がない方は読まなくても全く問題ない。

しかし、タキシードと蝶ネクタイの歴史をたどると次のような疑問に対して納得できる答えが見つかるだろう。

◆なぜタキシードを着る時のネクタイの色は黒なのか?

◆なぜタキシードを着る時は蝶ネクタイを結ぶのか?

◆白やほかの色のタキシードは正式ではないのか?

◆黒以外の色の蝶ネクタイを結んではいけないのか?

タキシード? ディナー・ジャケット? スモーキング?

タキシード【tuxedo】はアメリカ英語。

英国ではディナー・ジャケット【dinner jacket】

ヨーロッパの他の国々ではスモーキング【smoking】と呼ばれる。

呼び名は異なるが、すべて夜間の礼服のことであり燕尾服よりも略式とされる。

タキシードの各国での名称の違いそのものが、タキシードの歴史的な起源の違いを示している。

また、とある高級ブランドが、どの国の どの時代の影響を受けて成り立っているかをもタキシードのデザインの違いによって読み取れる。

タキシード誕生のいきさつ

タキシード発祥の源流は1800年代英国の皇太子(後のジョージ4世)の摂政政治時代にさかのぼる。

それよりも昔、フランス革命以前の上流貴族たちの身なりはフリフリのフリル付で金の刺繍をあしらったきらびやかなものである。

18世紀の上流貴族の服装イラスト

出典:ekduncan.com

1770年代のフランスの貴族の身なり

宮廷服からシンプルな服装へ

1800年代にダンディズムの元祖ボー・ブランメルが登場する。

ブランメルは華美な衣装を嫌い、特に夕方以降は白と黒を基調とした装いを好んだ。

そして、ブランメルの服装は当時の典型的な男性のファッションとして広まっていった。

ブランメル時代の燕尾服イラスト

出典: wemakehistory.com

1811年当時の英国の一般的なイブニングドレス、燕尾服

フランス革命以前の服装と比べると、燕尾服とタキシードに似てなくもないだろう。注目すべきは燕尾服の色が黒ではなく濃紺であるという点だ。

ブランメルは黒の燕尾服と白のベストを好んだが、他の色の燕尾服を着る男性も当然のことながら存在した。

燕尾服からタキシードが派生したと考えられているので、どちらの衣服も色が黒でなければならない理由はないし、濃紺も素敵なのだが正式な場では黒が無難だろう。

燕尾服に合わせる蝶ネクタイの色は?

タキシードの先祖的な存在である燕尾服に合わせる蝶ネクタイの色は白だ。

ホワイト・タイの服装ルールのイラスト

出典:bows-n-ties.com

燕尾服の着用ルールの一例

1800年代のネクタイはクラバットと呼ばれる布地を首に巻くものだったが、一般に色は白と決まっていた。上流階級の紳士たち全員が白のクラバットを巻いていた。

Portrait of Pierre Seriziat(1795年)

出典:aliexpress.com

Portrait of Pierre Seriziat(1795年)

白いシャツと白いベスト、白いモスリン地のクラバットは富の豊かさを示すアイテムだった。馬車が行き交い、土ぼこりが舞う街の中で非の打ちどころのない白さを維持するためには何着もの着替えが必要であり、白さを保てるということは尋常ならざる財産ともてあますほどの時間をもっている証拠なのだ。

しかし、例外的に黒のクラバットを結ぶ者もいた。例えば、英国皇太子、後の国王ジョージ4世である。もちろん金持ちだ。

英国王ジョージ4世

出典:racollection.org.uk

黒いクラバットを結んでいるジョージ4世

なぜ燕尾服もタキシードも蝶ネクタイを合わせるのか?

燕尾服のドレスコードは「ホワイト・タイ」、タキシードのドレスコードは「ブラック・タイ」と色で指定されているが、どちらも蝶ネクタイであることにお気づきであろうか?

なぜタキシードには結び下げのネクタイではなく、蝶ネクタイを結ぶのか?

理由は単純、現在のフォーマルウェアの規準を形作ったこの時代に結び下げのネクタイが存在しなかったからだ。

タキシード着用時には胸にプリーツがついたシャツを着るので、邪魔にならないように蝶ネクタイを結ぶ、という説明をする人もいるが、正しくない。ならばプリーツなしのシャツを着る燕尾服でも蝶ネクタイを結ぶ理由の説明がつかない。

タキシード・スタイルの正式なルール解説

出典:bows-n-ties.com

タキシード着用時のルールの一例

ネクタイの前身、クラバットの結び方と蝶ネクタイの関係とは?

この時代に蝶ネクタイが存在したわけでもない。

しかし、次に紹介する1800年代のクラバットの結び方を見れば、なぜタキシードに蝶ネクタイを結ぶのかが分かるだろう

当時のネックウェアであるクラバットの結び方を簡単に紹介しておく。ネクタイの結び方には名前がついている。

なぜタキシードに蝶ネクタイを結ぶのか、結んだ様子からその理由がお分かりになるだろう。

①ロイヤル・ジョージ

クラバットの結び方1

出典:historyandotherthoughts.blogspot.jp

または「フルドレス」と呼ばれるもっとも格式高いネクタイの結び方である。素材は高級なジェノア・ベルベットやシルク・サテンで作られていた。

②プレーン・ボウ

クラバットの結び方2

出典:historyandotherthoughts.blogspot.jp

やや細身のネクタイをシンプルな蝶結びで結んでいる。素材は黒のシルク。

③ボール・ルーム

クラバットの結び方3

出典:historyandotherthoughts.blogspot.jp

もっとも一般的でありながら、もっとも難しいネクタイの結び方。布地を顎のすぐ下まで柔らかくふんわりと維持しなければならないのだが、両端を結んでいないので形が崩れやすい。交差した部分はピンで固定させている。

④ハンティング

クラバットの結び方4

出典:historyandotherthoughts.blogspot.jp

その名の通り、狩猟を行なうときの結び方である。交差部分はキツネをあしらったブローチなどで固定した。布の両端をひらひらさせてはいけない。現在、この結び方は乗馬用のネクタイ(ストック・タイ)に名残が残っている。

このように、燕尾服やタキシードの起源となっている時代のネックウェアはクラバットであった。燕尾服にもタキシードにも蝶ネクタイを結ぶのは、蝶ネクタイがクラバットの歴史を汲んでいるからである。

ネクタイの歴史については「知らないと恥ずかしい ネクタイの起源と歴史」をご覧ください。

なぜタキシードの着こなしは黒と白で成り立っているのか?

タキシードの歴史は礼装の歴史である。

広く知られているように、礼装は黒と白で構成されている。

この「礼装は黒と白」という色のルールを作ったのは英国の作家エドワード・ブルワー=リットン卿である。小説『ポンペイ最後の日』が代表作で、戯曲『リシュリュー』に登場する宰相リシュリユーのセリフ「ペンは剣よりも強し」で有名な作家だ。

リットン卿は1828年出版の「Pelham」という小説のなかで、「メンズのフォーマルドレスは白い蝶ネクタイと黒い燕尾服、固く糊付けされた白いシャツ」として、礼装の色合いを定義したのだ。

小説「ペルハム」は上流階級の人々の間で人気を博し、以来、男性の夜会服の色は黒と白で構成されるようになった。

エドワード・リットン卿

出典:freemasonry.bcy.ca

エドワード・ブルワー=リットン卿

タキシードの着こなしのキーワードは?

タキシードを着るときに大切なキーワードは「リラックス感」だ。

タキシード着用時のリラックス感を演出した最初の紳士はアルフレッド・ドルセー伯爵であろう。

ドルセー伯爵は華美な装いよりもシンプルな装いによって上流階級の紳士淑女を魅了した社交界のファッション・リーダーである。

ドルセー伯爵は黒のサテン地のクラバットで胸元を優雅に飾った。

ドルセーロールのシルクハット、ドルセーパンプス、ボタンをルーズに止めるジャケットと反り返ったラペルなどは、見る者に優雅でリラックスした印象をもたせた。

アルフレッド・ドルセー伯爵が世間にもたらした、礼装における「リラックス感」が後にタキシード誕生のキーワードとなる。

アルフレッド・ドルセー伯爵

出典:wikipedia.org

アルフレッド・ドルセー伯爵のイラスト(1830年)

この時代、燕尾服のラペルは現在のようにシルクで覆われておらず、ベルベットで覆われていた。ラペルの形状はピークド・ラペルだけでなく、ショール・カラーもあればノッチド・ラペルもあった。

蝶ネクタイの形は、先が尖っていて、剣幅は一般的に狭かった。

それはクラバットが一枚の布を巻きつけていたことによる名残だ。

クラバットは一枚の布の端と端を結ぶ。

だから先端は布の角となって、結び目の端には布の角がくる。

最も伝統的な蝶ネクタイは一枚布を折り合わせて作られたものであり、粋な男性はそれをさりげなく、あくまでも自然にリラックスして結ぶ。

伝統的なハンドメイド製法による蝶ネクタイが絶滅寸前であるのはほんとうに残念なことである。

あらかじめ不自然に作られた結び目はリラックス感を損なう。

1834年のフランスの燕尾服イラスト

出典:digitalcollections.nypl.org

1834年フランスの燕尾服と白い蝶ネクタイ

英国では、タキシードはあくまでも燕尾服の略式という認識であるからショール・カラーではなくピークド・ラペルであるとの説明をよく目にする。

どこのだれが言い始めたのか知らないが、どこへ行っても同じ説明のコピー&ペーストである。実際は英国人もショール・カラーのタキシードを着用している。

ヴィクトリア朝の潔癖スタイル?

礼装の色は黒と白が良い、というリットン卿の言葉がいっときの流行に収まらなかったのは、ヴィクトリア朝時代という社会性が関係している。

ヴィクトリア朝時代(1837-1901年)は英国の黄金期であった。

数々の芸術家が生まれ、ときに感傷的で、過度の上品さが重んじられた。

いっぽうで、産業革命の大きなうねりの時代でもあり、節制と欲望の二律背反がみられた。

プロテスタント派教会の発展も紳士服に影響している。

プロテスタントは非常にきびしい基準をつくり、黒と白のモノトーンを着ることで潔癖さを誇示したのだ。

こうした時代背景ゆえに、燕尾服やタキシードの黒と白の組み合わせは、リットン卿が提唱した後も引きつづき紳士たちに受け入れられた。

ヴィクトリア時代の男性の服装

出典:wikipedia.org

1870年代のヴィクトリアン・ファッション

ヴィクトリア女王の夫 プリンス・アルバート公の死

さて、喪に服すことは英国の紳士淑女にとって非常に重要なしきたりであった。

英国では厳格に喪に服す期間がさだめられており、喪服と半喪服までが存在した。

英国では、伝統的に喪に服するときは黒い服を着る。

1861年12月14日、ヴィクトリア女王の夫、アルバート公が腸チフスで亡くなったことも燕尾服/タキシードの黒白スタイルに影響を与えている。

全国民に喪に服すことが命じられたが、その期間は非常に長いものだった。ヴィクトリア女王とアルバート公の仲睦まじさは英国の平和を象徴するものだったからだ。

アルバート公は紳士服の歴史上にたびたび登場する洒落者でもあるが、それはまた別の話である。

アルバート公とヴィクトリア女王

出典:wikipedia.org

アルバート公とヴィクトリア女王(1854年)

タキシードが喪服として誕生するわけではないのだが、ヴィクトリア朝時代の宗教的また文化的な背景が黒と白で構成される服装を定着させた、とも考えることができるだろう。

正式な場で着用するタキシードそのものの色は黒か暗色の青が望ましい。

タキシードにはもともと白の蝶ネクタイを結んでいた?

最初期のタキシード着用時の蝶ネクタイの色は白だった。

というのも、燕尾服には白い蝶ネクタイを着ていたからだ。

あとで改めて述べるが、服装のルールは時代によって変わる。

1800年代後期には、あらかじめ結び目を作っておく蝶ネクタイ(プレ・タイ)も発明されたが、まっとうな紳士であればプレ・タイを結ぶことはない、というのが上流階級の共通認識である。

興味深いことに、黒の蝶ネクタイを結ぶことも、正装として燕尾服を着る場合には認められていなかったのである。

時代と共に蝶ネクタイの色は、燕尾服は白、タキシード黎明期には白もしくは黒とされる。やがて、燕尾服には白、タキシードには黒と規定されるようになった。

1883年発行の英国のボール・ルーム(舞踏会)ガイドブックには「黒のドレスコート、黒のトラウザーと黒のウエストコート、黒か白のネクタイ、山羊革の手袋、パテントレザーのパンプス」の着用が勧められている。

蝶ネクタイの素材に関して言えば、最も伝統的なものは綿か麻である。これはクラバットを結んでいた時代から続く伝統的な素材である。

1800年代後期まで、燕尾服を着用する時の蝶ネクタイは平織の麻か綿素材で白色が正式とされていた。

現代において正統とされている蝶ネクタイの素材は絹だ。見栄えがよいからにほかならない。